
過食、飽食でブタのように肥満した者が増えている一方で、毎日平均一万人以上の人間がアフリカや東南アジアでは餓死している。
現在、世界人口60億を越える人間を載せた地球号は地球家族を養う事ができるだろうか?
世界資源研究所の報告によると、農業用地の開発には年に0.1%の増加にとどまっており、人口一人あたりでは0.14ヘクタール減る計算になるという。
しかも深刻なことに、砂漠化が進んでおり、アフリカの非砂漠地帯の40%、アジアで32%、南アメリカでも19%が砂漠になる恐れがあるというのだ。
1970年代から現在までに、世界の食糧生産は年平均2.2%ずつ増えてきたが、人口の増加のほうがこれよりも0.5%高かった。
北米・オセアニア・西ヨーロッパ以外の国は、80年代のはじめにすでに自給できない状態になっており、とくに開発途上国の食糧事情は、深刻である。
開発途上国の中で自給できる国は22ヶ国にすぎず、83ヶ国では計2億トン近い不足となる。
これに拍車をかけているのが肉食だ。
世界中の人がアメリカや日本人なみに肉を食べるとしたら、年間5億トンにもなる。
今、1億トンの肉を生産するには35億トンの飼料用穀物が必要だが、人間の食糧の10億トンを加えると、合計45億トンになる。これは現在の生産量の約3倍にもなるのである。

バイオテクノロジーに期待するにしても、人口増加、農地の砂漠化、化学肥料などによる土壌の悪化といった諸条件を考えると、状況は悲観的である。
ここでデンマークのハインドビード博士が、第一次世界大戦の際にとった英断を想起していただきたい。今、人類は、本来の食性に戻るべき抜本的な食事改革を迫られているのだ。
肉を食べている人たちが、アフリカや東南アジアの人々を飢え死にさせているのと同じ事なのだ。こういう人たちが、そしらぬ顔で世界平和を口にするなど、およそフンパンものである。
10人の人間を犠牲にして、自分ひとりだけがのうのうと食っている。
これが肉食の形態であり、肉食の思考である。

飢えがどんなにつらいものかは昭和20年の敗戦当時に小学生以上であった人なら身をもって体験したことである。
ほんのわずかばかりの米や麦の配給でさえ何日も遅れ、あちこちで「米よこせデモ」がおこっていた。マッカーサー元帥ひきいる占領軍は騒動の起こるのを怖れ、アメリカ本国から食料を緊急輸送した。
脱脂粉乳、乾燥卵、脱脂大豆、トウモロコシ、メリケン粉などである。
学校給食で味噌汁にプカプカ浮いた乾燥卵や、鼻をつまんで一息に飲み込んだ脱脂粉乳のイヤな味を、いまでも顔をしかめて話す人は多い。
アメリカから送られた食糧の中には、家畜用の飼料も多かった。
日本人はおしいただくようにして食べたのだが、日本同様に敗戦国となったドイツでは、事情がちがった。肉食に慣れているドイツ国民は「おれたちは牛や豚ではない。家畜の飼料などが食えるか!」とおこって、それらの食糧を受け取らなかったと言う。しかし、これは食習慣というよりも、プライド問題であろう。このころの情況は、焼け跡派といわれる野坂昭如氏の『行き暮れて雪』や、開高健氏の『青い月曜日』にあざやかに描かれている。
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ともかく、地球上から餓死する人をなくすためには、肉食をやめる以外にないのだ。
もし世界中の人間が肉食をやめて穀・菜食に切り替えるなら、300億の人間がらくに食っていけるのである。しかも、穀・菜食は、人間の生理から言っても、もっとも望ましい食事形態なのだ。
アフリカや東南アジア難民の救済もよいが、同時に、肉を飽食している先進諸国の人々の、抜本的な食事革命を急がなくてはならない。

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